世紀の発明王‼2万回立ち直った男⁉その名は、トーマス・エジソン‼

現代において、この名前を知らない人はいないんじゃないでしょうか?

偉大な発明家、トーマス・エジソン。

『失敗は成功の母』

彼の名言の1つです。

この言葉にも表れていますが、エジソンは失敗しても失敗しても立ち上がってきて成功を納めた不屈の精神の持ち主です。

この精神は、勉強でもビジネスでも死ぬほど重要です。

現代人は、彼から学ぶことが非常に多いです。

エジソンの生き様から我々が成功するための秘訣を学んでいきましょう!

今回は、そんな彼の一生をざっくりとお話ししていきます。

それでは、まずエジソンの主な経歴を紹介します。

  • 音を記録する蓄音機の発明 → 後のCD 
  • 動画撮影機を発明     → 後のビデオカメラ
  • 白熱電球の長寿化に成功 

これらは、エジソンの3大発明と呼ばれています。

現在の美しい夜景は、エジソンによって生み出されたのです。

トーマス・エジソンの幼少期~青年期

エジソンは、1847年にオハイオ州マイランにて、7人兄弟の末っ子として生まれました。

幼いころのエジソンは、「知りたがり屋」で気になることは何でも聞いてしまう性格でした。

好奇心旺盛なのは、素晴らしいことですがエジソンの場合は度が過ぎていて、教師たちの悩みの種となってしまいます。

そんな幼少期のエジソンがした質問が

  • 1個の粘土と1個の粘土を合わせても1個なのに、どうして1+12なの?
  • A(エー)はどうしてP(ピー)と呼ばないの?

など、返答に困るものばかり。

彼の好奇心は、収まるところを知らず、ガチョウの卵を自分でふ化させようと何時間も温めてみたり、なんで物が燃えるのかを確かめるために納屋を全焼させたりしていました。

これが、5歳や6歳の子供のやることですか⁉笑

こんな問題ばかり起こしていたため、エジソンは教師からも反感を買い

教師
教師

 お前は頭が腐っている! 

とまで言われ、わずか数ヶ月で小学校を退学してしまいます。

なんと、世紀の発明王の最終学歴は小学校中退だったのです。

その後は、母親の助けもあり、自宅を中心とした独学に切り替えて勉強していったのです。

自宅での勉強に切り替えたことにより、エジソンは時間に縛られずに好きなだけ科学の実験に夢中になりました。

エジソン少年が7歳の頃、好奇心旺盛だった彼は自分で新聞を作って電車で売り捌いたり、街で働くようになり、そこで稼いだお金で科学の実験を繰り返して知的好奇心を満たしていました。

どうですか?僕たちは高校生になってからやっとバイトやらなにやらやっているのに、エジソンは既に7歳の段階からビジネスの一端を経験しているのです。

あまり知られていないのですが、エジソンは発明王としてだけではなく、優秀な経営者としても歴史に名を残しています。

今思えば、幼少期の経験全てが成功するための布石だったのでしょうね。

エジソン、電信と出会う

エジソンは、15歳の時、図らずも電車に轢かれそうになっていた子供、ジミー・マッケンジーを颯爽と助けます。

これが電信との運命の出会いを引き起こすのです。

ジミーの父親はなんと駅長をしていたJ.U.マッケンジー。

彼は、息子を救ったエジソンにお礼として「電信」の技術を授けます。

電信とは、簡単に言うと、モールス信号などの電気通信のことです。

電信との出会いが、エジソンが後に技術者として人生を歩み始めるきっかけを与えたのです!

エジソン、初めての発明

1864年、17歳頃のエジソンはカナダの駅で夜間通信係として働いていました。

ですが、「1時間おきに電信で信号を送るだけ」という仕事に飽きてしまったエジソンは時計を使って電信機が自動で信号を送る機械を発明し、超効率的にサボる術を確立させます。

もう、才能の片鱗が見え隠れしていますね。

ところが、今までと違って全く誤差なく正確に信号が送られていくることに違和感を覚えた上司にサボりがバレて盛大に叱られてしまいます。

ちょっと微笑ましいのはここだけの話です笑

そして、エジソンが19歳になると、勤務中に実験が出来るという超不純な理由から、夜間勤務を一人で行えるAP通信社に就職します。

そんな、三度の飯よりも実験が好きなエジソンだからこそ、この後にお話しするような偉大な発明の数々を残すことが出来たのでしょう。

突き詰めてしまえば、他人からいくら短所だと言われても、素晴らしい魅力になることをエジソンが教えてくれます。

トーマス・エジソンの青年期~晩年

AP通信社に勤めていたエジソンですが、1867年のある日、勤務中に無断で行っていた実験を失敗して、硫酸をこぼしてしまいます。

運も悪く、その硫酸が上司のオフィスに漏れ落ち、エジソンは翌日解雇を言い渡されます。

まぁ、当然ですよね笑

エジソン、初の特許取得

解雇されてから、1年後の1868年、エジソンが21歳の時に初めて特許を取得しました。

その記念すべき特許第一号は、「議会における賛成票と反対票を効率的に集計する装置」という大発明なのですが、古臭い議会はどこも採用せず、エジソンにとっては辛いスタートになってしまいます。

この時の経験から、いくら立派な発明でも、人々が喜んでくれないと全く意味のないことだと痛感したエジソンは、発明の前に周囲の人々の意見をよく聞くようになります。

これって、完全にビジネスの基本ですよね?

需要がいかに大切か、そのためのリサーチもどれほど重要かがわかりますよね。

その翌年には、株式相場表示器を発明し、約2億円で業界に買い取ってもらえます。

エジソンは、予想の8倍も高い金額を提示されて、心臓が止まるほど驚いたらしいです笑

この成功がきっかけとなってエジソンは発明家としての人生を本格的に歩むことを決心しました。

エジソンと3大発明

エジソンは、1877年の蓄音機の発明を皮切りに、ニュージャージー州にメロンパーク研究所を設立。

集まった人材を機能させるべく、エジソンはマネジメント面で辣腕を振るいます。

研究所では、電話、蓄音機、電気鉄道など様々な発明品を矢継ぎ早に商品化しました。

この電話を商品化する時の一悶着もすごく面白いんです!

ここで話してしまいたいんですが、ぐっと我慢。気になる方はトーマス・エジソンの発明品の章をご覧ください!

エジソンの発明品の中でも、特に力を入れていたのが白熱電球でした。

実は、電球自体を開発したのはエジソンじゃないんです。

びっくりですよね。エジソンと言ったら電球、電球と言ったらエジソンみたいなとこはありますから、初めて知った時の衝撃はすごいですよね。

じゃあ、なんでエジソンと言ったら電球っていうイメージがあるのか。

それは、白熱電球の点灯時間を長くして実用化したのがエジソンだからです!

そこで、有名な「2万回にも上る実験」を行ったのです。

この実験のおかげで、電球の点灯時間を45時間まで引き上す事に成功、1879年には実用化に至ったのです。

だから、エジソンは白熱電球で成功した、というイメージがあるんですね。

エジソンの晩年

1887年には、動画撮影機キネトグラフの発明、1893年には、アメリカ初の映画スタジオ「ブラック・マリア」を設立し、白黒映画を作成し始めました。

そして、晩年には鉱山経営などにも手を出すが失敗。

研究所にこもり死者との交信の実験を続けます。

エジソンは、なんとオカルト信者でもあったのです。

そんな彼も、老いには勝てず1931年10月18日、84歳の時にエジソンはこの世をさりました。

トーマス・エジソンの名言・発明品

ここまで、エジソンの一生をざっくりと紹介してきました。新しい発見がいっぱいだったのではないでしょうか?

歴史的な偉人たちって意外と知らないんですよね。ですが、まだ終わりません!

むしろ、ここからが一番面白いところです!ぜひ最後まで見ていってください!

エジソンと蓄音機

世界で初めて録音されたものが何か知っていますか?

皆さんも知っているものですよ。

正解は・・・

「メリーさんの羊」

ちょうど音源があるので、聞いてみましょう。

エジソンってこんなに好青年だったんですね〜。

エジソンと電話機

電話機の発明は、アメリカの電信事業を独占していたウエスタンユニオンに依頼されて始められました。

この結果、電話に関する特許を得たグラハム・ベルと対立する事になります。

結果的に、電話の発明者はベルとされていますが、電球と同じように長距離で利用できるように改良したのはエジソンなんです。

エジソンは、最後までベルが電話の発明者と言われるのに納得していなかったみたいです笑

エジソンと白熱電球

先ほども言ったように、白熱電球を開発したのはエジソンではなくジョゼフ・スワンです。

ですが、ジョゼフが発明した電球はすぐに壊れてしまう欠陥品でした。

そこで、エジソンは数千種類の素材を使って、数十時間まで伸ばしましたが、それでも納得しなかったのです。

ある時、手近にあった扇子を解体して竹炭にしたところ、今までよりも長く持ちました。

これに注目したエジソンは、世界各地の竹を調査し、日本に派遣されていた調査員が京都府八幡村の竹を入手。

この竹から作られた電球は、なんと1000時間近く光続けたのです。

エジソンを電球の人とせしめたのは、実は日本のおかげでもあったんです。

そのため、エジソンは電球の発明者ではなく、「電灯の事業化に成功した人」として名を馳せたのです。

エジソンの名言

最後は、偉大な発明家トーマス・エジソンの名言で締めくくりましょう。

私は失敗したことがない。ただ、一万通りのうまくいかない方法を見つけただけだ

私たちの最大の弱点は諦める事にある。成功するのに必要な方法は、常にもう一回試す事だ

天才とは1%のヒラメキと99%の努力である

エジソンは、間違いなく努力の人間です。我々は、彼から成功のための秘訣をたくさん学べるでしょう。

まだまだ、語れていないこともたくさんあります。気になった方は、自分で調べてみてはどうですか?

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