20世紀最高の物理学者⁉誰もが知ってる大天才‼その名は、アルベルト・アインシュタイン‼

皆さんは、誰もが知ってる天才と言えば?と聞かれたら誰を思い浮かべますか?

僕は、間違いなく、アルベルト・アインシュタインと答えます。

アインシュタインと言ったら、やはりあのベロをベーっとやったあの写真が印象的ですよね。

ですが、アインシュタインが何をやった人なのかを知っている人は少ないですよね?

そんなに有名な人が何をしたのか知らないのは、ちょっと残念です。

なので、今回はアインシュタインがどんなことをしたのかを紹介していきます。

それでは、ざっくりとアインシュタインの実績を見てみましょう。

  • 12歳で微分・積分を独学で学ぶ
  • 26歳で「特殊相対性理論」を提唱
  • 37歳で「一般相対性理論」を提唱
  • 「光量子仮説」によりノーベル賞受賞

ノイマンといい、アインシュタインといいどうして歴史に名を残す天才たちは幼いころから微分・積分を学んでいるんでしょうかね?

僕は高校・大学でやっと学びましたよ笑

ノイマンって誰ぞ?って人は、こちらの記事も読んでみてください👇

相対性理論って何?光量子仮説でノーベル賞?相対性理論じゃないの?

と思っている人もいると思いますが、それは後のお楽しみです。

さて、それでは、誰もが知る大天才アルベルト・アインシュタインがどうやって育って何をしたのか、サクサクっと話していきましょう。

アインシュタインの幼少期~青年期

アインシュタインは1879年3月14日にドイツ南部のバーデンにて生まれました。

ホワイトデーが誕生日なんてちょっと嫌ですね。

なんせ、誕生日なのにプレゼントをあげる側なんですから笑

アインシュタインは、5歳のころまであまり言葉を発して会話をすることが出来ませんでした。

しかし、この話さなかった時期に、脳に全体を把握する能力がついたのではないかという説もあります。

5歳の時に父から貰った方位磁針がきっかけで、自然界の仕組みに興味を持ちました。

この時点で天才っぽいですよね。天才が始動した瞬間です。

さらに、同じく5歳のころにバイオリンを習い始めました。

そしてすぐにモーツァルトの曲が好きになり、生涯バイオリンを愛していました。

9歳のときにはピタゴラスの定理の存在を知り、寝る間も惜しんで考え、そして自力で証明しています。

さらに、12歳のときには、叔父さんから貰ったユークリッド幾何学の本を独学で習得してしまいます。

このころに微分・積分も一緒にマスターしてしまうんだから、まぎれもない天才ですよね!

その後、アインシュタインはチューリッヒ連邦工科大学に入学しようとしますが、なんと落ちてしまいます!

しかし、数学の点数が飛び抜けてよかったため、条件付きで入学を許可されたのです!

アインシュタインは、実はあまり模範的な生徒ではなく、反抗的な性格をしていました。

実際に、アインシュタインは興味がない授業には参加すらせずにサボっていましたが、興味がある授業は全て1番の成績を残しています。

何ともアインシュタインらしい話です笑

その後、大学を卒業したアインシュタインは、大学の学部長に嫌われていたため大学の助手になることが出来ず、特許庁に勤めることになります。

特許庁とは、特許を認めるための機関のことです。

ここから、アインシュタインの伝説ともなる様々な理論が提唱されるのです。

アインシュタインの青年期~晩年

特許庁に入ったアインシュタインは、大好きな物理の問題に取り組む自由がたっぷりでき、特許申請書類の中の数式をや理論を浴びるほど手に入れていきました。

まさに、鬼に金棒です。

アインシュタインの才能が発揮された奇跡の年

1905年、アインシュタインが26歳のこの年は物理界で「奇跡の年」と呼ばれています。

この年から数年以内に、アインシュタインは「光量子仮説」「ブラウン運動の理論」「特殊相対性理論」に関する5つの重要な論文を立て続きに発表しました。

どれもが世紀の大発見です!

しかし、特殊相対性理論は当時の人間は誰も理解することが出来ず、あまり注目されていませんでした。

天才過ぎて理解されないというやつですね笑

相対性理論がどんなものかざっくりと説明すると

「光の速さは絶対に変わらず、代わりに空間や時間が伸び縮みする」

というものです。なんだかよくわかりませんよね。詳しくはこの動画を見てください!

アインシュタイン、大学へと舞い戻る

1909年、功績を認められたアインシュタインは、チューリッヒ大学の助教授になります。

さらに、同じ年には生涯で初となる名誉博士号がジュネーブ大学から授与されました。

1910年には、プラハ大学の教授。1912年には、なんとチューリッヒ大学の教授になってしまいます。

たった、2年の間で大出世です。

ノーベル賞と離婚騒動⁉

かの天才アインシュタインは、ノーベル賞を取る時でさえ、物語を作ってしまいます。

というのも、アインシュタインが妻ではなく、別の女性を愛してしまったからです。

当然、そこには昼ドラのような離婚騒動があったのですが、離婚の決め手がまたかっこいいんです。

「ノーベル賞を取ってその賞金を元妻に譲る」

こんなこと、アインシュタインにしかできないですよね笑

一般相対性理論の発表

1916年、アインシュタインが37歳の時に一般想定性理論は発表されました。

特殊相対性理論とどう違うの?と思う方もいると思うので、ざっくり解説すると

「星の重力によって、光が曲げられる」

ということを提唱しています。詳しくはコチラの動画をご覧ください。

その後、ドイツでヒトラーが政権を握ってくると、アインシュタインはアメリカに亡命します。

何を隠そうアインシュタインはヒトラーの迫害対象であるユダヤ人だったからです。

アインシュタインの亡命後

アメリカに亡命後もアインシュタインはその才能を余すとこなく発揮し、さらには原爆にもわずかではありますが携わります。

原爆は、アインシュタインの理論をもとに実現されているのです。

この時代の天才たちは、くしくも原爆に少なからずかかわっています。

ノイマン然り、アインシュタイン然りです。

原爆のことで深く悲しんだアインシュタインは、その後は世界の平和活動に力を尽くしました。

そして、1955年4月11日にアインシュタインは腹部動脈癌によって亡くなります。

到底すべてのことは話せていませんが、ざっとアインシュタインがどんなことをしてきたのか、どうやって育ってきたのかがわかりましたか?

ここから先は、アインシュタインが残した名言をちょこっと紹介していきます。

アインシュタインの名言集

アインシュタインは、数々の名言を残してきたことでも有名です。

その中でも、僕が特に好きな名言をいくつか紹介していきます。

弱点は、いずれキャラクターになる。

常識とは、18歳までに積み重なった、偏見の累積でしかない。

どんな条件であれ、私には確信がある。神は絶対にサイコロを振らない。

失敗したことのない人間というのは、挑戦をしたことのない人間である。

重要なのは、疑問を持ち続けること。知的好奇心は、それ自体に存在意義があるものだ。

どれも、僕が好きな言葉です。

特に、2番目とか凄い良いですよね!

この名言の裏にも一つ一つエピソードが隠されています。

アインシュタインに興味を持った方は、ぜひ自分で探し当ててみて下さい!

そしたら、僕と語りましょう!

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